悪阻の症状に嘔吐,腹痛を訴え,回虫症や留飲症に似ているところがある.また気欝, 寒熱,咳をして乾血労(※結核性疾患)に紛わしいものもある.眠らず,食せず,泣き 悲しみ,肝欝あるいは??(※肺結核)の初期に類するものもある.医師の多くは誤診 するところだ.また生理が滞って乳房が黒く乳もしぼれば出て,助産婦が産帯を施し腹 も次第に大きくなって行く.9〜10ヵ月になるまで妊娠と認めている者の一診して妊 娠していないことを決めるのは容易なことではない.私は40年来一人も誤診はない. 先の新婦は私の先生といえる.全てが妊娠ではない.諸病の診察でもその通りだ. 伝に曰く「射てしかも中らず,かえってこれをその身に求むと.これ徳に進む所以なり .また芸に進む所以なり.服◆せずんばあるべからず.」
小西久兵衛の息子は年が14〜15である.診察を請う.父母の話では,床に伏すこと 既に2,3年になる.薬,食事を与え,祈らない日はない.しかし病患は重くなり◆ル イハイコウサクが進んでいる.私はこの患者を診ると,夕方に寒熱を発して胸骨は露呈 し,肌膚は潤い無く身面はあさ黒い.目の周囲が腫れぼったく,腹満して臍の周囲の肌 は突張り,指先が触っても飛立つように痛む.毎夜腹痛を発してやや下痢する.そのさ まは,腹ばかり張り四肢は痩細っているのであたかもガマガエルのようである.少しも 床から起き上ることができず飲食進まない.舌色黄苔,小便黄色,脈は沈にして微数で ある.仰臥すれば臍の近くが攣痛する.
私はその父母に話した,「この病は疳労の重病である.私が治療できるものではない. 」すると父母はしゅう然としていった,「とても生きていけるとは思いません.ただ, この子は一人息子なので愛情の限り−−−−−−.子供の命は先生に託します.」父母 は懇願するので私は断ることができなかった.そこで私は【小陥胸湯】と【四逆散】合 方に【しゃ虫丸】を毎日5分ずつ用いた.−−−−−−−.毎日2〜3回の通じがして 飲食が少しずつ進みだした.父母の喜び様は計り知れない.冬から春まで先の薬を続け た.その間数日は【しゃこ菜湯】を用い回虫を下すと,この後腹満,攣急がおおいに和 らぎ自らかわやに起きること
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ができるようになった.2〜3年にして”おまる”が不要になった.父母のますます歓 喜する.薬を約半年余り続けて身の周りの事はほぼできるようになった.父親は携えて ◆◆に浴する.服薬も怠らず,ますます快方に向った.初めての秋に薬を止めた.この 児が治癒したのは意外なことであった.
高知直次郎という者がいる.
18〜19才のとき懇意になった.性格は危弱よく回虫症を患う.平素胸膈が張って心 下硬く腹中実満,便秘する.先人治療するのに回虫症の時は【しゃこ菜湯】にて回虫を 駆除し,胸腹煩満,大便燥結すれば【調胃承気湯】【大承気湯】などを用いる.彼は古 方を信じる人で平素薬をよく服用している.遂に若いころからの◆こ毒を脱して健康に なった.40才頃に痔と淋病を患い難渋したが,このときは【大黄牡丹皮湯】【七宝丸 】【伯洲散】を用いて回復することができた. 50才を越えて種々心労があり,5〜7年の間ただ酒を飲んで憂さを晴そうとする.そ して飲量がだんだん増加し終日手から杯を放さないほどであった.−−−−−−−−− −−−−−−−−
60才になって案の定卒中を発し昏睡して意識を失った.冷脂汗を出し半身痳痺し両目 を寄せて死人のようであった.近所の医師に相談し−−−したが意識は戻らず.夕方に 使者が私の下へ診療を請に来た.この時私は不在であったので,息子の右膳が早速赴き 診療する.初起と全くかわることがないという.よって【瀉心湯】を与え《尺沢》《委 中》より瀉血したけれども意識は少しも回復しないので辞して帰宅した.翌朝私がかわ って診察に行くとなお変らず.何も手の下しようがない.その身熱,煩悶,手足不遂, 喘鳴,脈浮大であることで【越婢加朮附湯】に【瀉心湯】を兼用した.家族覚悟を決め ている.私は難治を告げて帰った.翌朝様子を聞きに人をやると,今朝までに大小便を 3〜4回排し煩悶,喘鳴少し安らいでいるとの事である.私は再び往診して,一時ばか り病人の枕元に座ってその様子をよく見ていると,片方の目を開き少し状況が分るよう である.半身は動かないが少し屈伸の動きをしているようだ.それで先の二方を与えて 帰った.
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