尾台榕堂 の『方伎雑誌』を読む .1
★方伎雑誌/大間に口語訳してあります.不明,存在しない漢字は◆◆,−−−等で
印をつけてあります.
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方伎雑誌
私は診療の際,事ある毎に些細なことでも書留め記録しておった.
もう三巻にも及ぶ.弟子達は刷する事を提案する.
私が『これは通俗書である.どうしてこれを伝える必要があるのか?』と言うと,
弟子達は『既に書物としてまとめられてあり,国字で書かれてはいるが(先生が)悟っ
た事が書かれてある.読む者はよく理解して,活かして運用すれば,境地が開け意識を
発するに充分である.どうしてむざむざ虫に喰わしてしまうのですか.』と言う.
あえて----よって刷って同志に贈る.あぁ医事は---を要し,---,---を尊ぶ.
弟子等,これをそのまま読み流してしまうのでなければ良いと思う.
明治◆牛南至の日
----主人 尾台逸撰す
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方伎雑誌 巻一
医術の要は方意を得るにある.方意を得るには薬能を詳かにするにある.ただ生薬一
味にも薬能あって一処方となって効果を為すものだ.従って薬能のみでは方意を理解
し難いかもしれないが,まず薬能を知る事ができれば処方運用の変化は自由自在であ
り,あたかも猿舞わしが猿を操るが如くである.
私は五十年来,張仲景の処方だけを使って来たので,古方の勝手はよく習得している
.どのような病人に対しても仲景処方を摘要できる.医師たるもの,如何に才能あろ
うとも博識であろうとも,中国の晋・唐・元・宋・明・清の各時代の方剤を表面的に
しか理解せず,自己の憶測でその場その場にあれこれと方剤を用いては生涯治療の法
則,規律は成立たないであろう.医師として,若いころから仲景の書を読みながら,
年老いても用法がままならないのは古今の方剤を濫用するためだ.
薬能を確知せんと思えば, 『薬徴』を熟読すべし.
方意を詳にせんと思えば, 『類じゅう方』を吟味すべし.
処方の運用を自在にせんと思えば,『方極』を用いるべし.
この三書は東洞翁の数十年の実際の臨床治験の上に撰著したものであるから空論憶測が
無い.論説は皆な著実である.故にこの三書を根拠として終始仲景処方だけを用いれば
自然に我が物となり巧に活用できるようになる.
私が『類じゅう方広義』中に諸方の応用と変化を挙げたのは,皆な数十年の実験,自
ら得た説である.私は鈍劣で不才ではあるが若くから,一心専心仲景の医学に従事した
結果古方を自由に扱えるになった.これは大海広しと雖も他人には負けない事だ.仲景
の処方は大抵1〜2味より7〜8味で構成される.甚だ簡明にして生薬の君臣佐使の別
が理解しやすい.故に方証相対して効果を得るときは自然と薬能も確知できるものだ.
薬能を確知すれば処方の活用は自然に自由を得る.千金,外台以下は多味の処方が多く
君臣佐使の義が明らかでなく,方意・薬能ともに確知し難い.その為方用の変化,活用
が難しくなるのだ.
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処方の運用が上手くなっても疾病の陰陽,裏表,寒熱,精虚,邪実を診察できなくて
は治療はできない.病症を診察することが実に難儀である.診療ができても処方が的を
得なければ治療できない.合わぬ処方で治療しようとするのは敵陣に武器を持たずに入
る如きである.病症を診察するにはよくその◆所見を◆病状を---にして〜〜〜.これが
処方を決定する決手となる.『尚書』に「よくその終りを慎むは,これその始りなり」
という.処方に迷い,次々と替えていくのは--- だからだ.処方が確かであればたとえ
病が遷延し,変化し,瞑眩したとしても予期した事であれば狼狽することはない.病が
長引き,変化することに迷い,瞑眩に恐れるようでは技術妙境になるには難しい.
病症交錯するので処方に迷うという者がいる.これは◆◆,◆◆を見抜けないでいる
からだ.「物に本末あり,事に始終あり」ということがある.自分に確固たる定見ある
ときはたとえ病が千変百出しようとも--------------することはない.だから平素から
診療に心を尽し技術を研くことが肝要である.このことは誰もが言うことだが,実際に
習得できている者は少いものだ.子思の曰く「人,飲食せざることないも,よく味を知
るものすくなし」,また孟子は,「これを行って著しからす,習って察せず.終身,こ
れによって,その道を知らずざるものおおし.」.深くこの語を考え研讃すべきだ.
東洞先生曰く「腹は有生の本,百病ここに根ざす,故に病を診するには,必らずその
腹を伺う」.病む部位に毒があつまり,害を持つ者はその毒を駆除すれば治癒するのは
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当然である.もし胸腹に病毒あり,頭面,手足,各所に疾患をなすものは,根本を討ち
除かなければ,決して全治はしない.だからよく腹症を診て処方することが肝要だ.し
かし腹を診ることは容易ではない.よくよく講明,精究することだ.
病人を診るには,先ずその患うところを詳しく問う必要がある.また以前に患ったこ
とのある疾患や,持病があるか,あるいは由来,経歴,平素の様子をたずねる.婦人に
は生理,出産の有無,◆◆白妖◆◆はないか?問うこと.顔,眼,声色,肌色艶,心身
の旺衰等,とくと診ること.さらに眼は人身の精華の流れるところであるから大病,長
患い,発狂,産婦などは特に注意が肝要である.脈を診て病の陰陽,表裏,寒熱,虚実
,進行度などを考察し,舌の色,湿り具合を診た後腹状を伺う.
腹を伺うには病人を仰臥させ両手,両足を下に伸ばして術者は心気を集中し,下腹に
力をいれて病者の足の方向に坐して自分の膝の外側と,病人の肩の外側に並ぶようにす
る.そして手のひらを病人の胸に下ろすと,胸膈の脹満・陥下・心臓部の動悸具合・ま
た咳・痰などの症状は呼吸にしたがって痰の胸膈を通過する響が手に感じられるものが
ある.また動悸の高ぶる者は喉の両方まで及ぶ場合がある.気を付けて診ることだ.よ
り指を平に寝かせ,心下の支え具合,硬いか,痛むか,動悸するか,水音を感じるか,
気を付けて診る.また,心下を按ずるのに肩背腹部に攣及するものがある.次に左右の
肋骨下,脇下を蝕診,硬いか,支えるか,痛むか,水音があるか気を付け診る.次に臍
の上に手を下ろし,腎門の動悸の様子を伺い,手を左右に動かしつつ,塊状のもの,畜
水,ひきつれ等の有無を精査するのだ.次に下腹に手を下ろし血塊,拘急,攣引の有無
を触診する.左右も診て腰股へ引き痛まないかを診る.また水毒で下腹の痳痺,膨脹す
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る場合がある.あらゆるところを診察して処方を決定すべきだ.これは東洞先生の腹診
法,岑氏がこれを受継ぎ私が先人から受継ぐに至ったものである.
水毒で小便出にくく膀胱の満急するのはカテーテルで通利させる.病気の種類に限らず
小便不利でも小腹満急しないものはカテーテル無効である.◆症の利尿剤が良いが,も
しこれでも通ぜぬ者は腹証を詳しく診て 【大黄牡丹皮湯】,【桃核承気湯】,【大黄
甘遂湯】,【大承気湯】等を撰用することだ.大便快通して小便もよく通りよくなる.
およそ,顔面や手足の症状も対症と思う処方に効果なく腹証に従って処すと治癒するの
は不思議なことだ.故に腹証を診することは治療の要道なり.
腹診するときに手指に余り血からを入れ過ぎてはならない.大病人◆◆るい弱◆人は腹
内動揺して診察後悪心や痛みを訴えたり,することがある.心を込めて穏やかに伺うこ
とだ.また肩背,手足,腰股に症状があればこちらも伺うこと.
先に述べるように,胸膈,心下部,腹部,下腹とも左中右と三ヵ所づつ都合十二ヵ所に
症状を取り得る.甚だ簡略して言うようだが診察に熟練すると病の所在は明かにできる
.腹診の規則を知らずめったやたら按ずるときは返って診療し難くなる.
従って,必ず患者を真直ぐに仰臥させ診療する.これは肝腎なことだ.少しでも身体が
斜向いたり,手を挙げたり,足を曲げたり重ねたりしていると病診とり難くなる.
腹診の取り方を知らず,病人を気ままに寝させてあちらこちら,また何度も按じ探る者
,病人を座らせたまま胸膈,心下へ手を押入れて診察するものがいる.どんな腹中の疾
患を診ているのか?−−−−−−−−−−−−−腹証に随って処方を決定することを知
らないからだ.
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父,紫峰先生の門人に規矩のの都という盲人があった,鍼術はいたって巧である.私が
30ぐらいのとき,既に70過ぎであったがよく学ぶ人で素霊,難行,類経,腹病式,
十四経などは門人に口伝えに受けた.痳痺,疼痛,あるいは手足拘攣,屈伸の不自由な
どの症状はその患者を診察し針を数ヵ所に極めて浅く刺し,痛みを感じないところには
三稜針を使って瀉血する.瀉血量・針の数は疾患の軽重,代謝によって異る.治癒する
のは−−−−−のようだ.瀉血の奇効は扁じゃくが三陰五輪をとりたることが思い当る
.病人の遠い,,近いによらず−−−する.謝儀は貧富ともに一度青あい十二孔の他は
受けない.甚だ謹格な人である.その人がいう.
去血除疾の要をようやく十年来に発明した.しかし,年老いれば死を末ばかりだ.病人
を治すと言っても限りあり−−−だ.医術に従事し治療に少しは慣れて医名に恥じない
ようになったけれども70才になり子弟の修練,造旨して私の志を継がんことを望むば
かりだ.
大病劇症などには薬を昼夜,数服飲ませねばならないのは勿論である.しかし数服ばか
り多くても,薬剤が頼りなければ疾患を攻めることは難しい.この為に患者が死ぬのは
医師の過ちである.通常の疾患も,大病劇症も同じく8〜12gの薬剤でどうして著効
がろう.深く考慮すべきだ.−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−.
漢書の芸文志に方技を◆して四部とする.
医方,神仙,房中,しかしの如きは医法ではない.必要とするのは医経と経方の二つで
ある.これは二つのものではなく一つのものである.何故ならば医経によらねば経方を
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ほどこすことができない.経方に渉らなければ医経は要をなさない.◆だから双方共に
研究しなければ,通じなければ医術を行うことはできない.医方に単方,海上方,経方
など古昔からある.経方は薬物の君臣佐使の分類があり用法は緻密である.芸文志の方
は今は伝わっていなので,どのような処方があったのか知る術もないが芸文志に挙って
いる書物名を見ると古代のものとは思われない.もしかすると医経,経方ともにみな秦
・漢時代の偽作ではないだろうか.このことは私が『井観医言』に論じている.芸文志
に黄帝内経18巻,外経37巻の目次がある.この書は焼失したことはよく知られてい
る.素問,霊枢,難行,本草の目次は文芸志にない.現在伝わる素問,霊枢はギ,晋の
医人の偽作であることは確実である.ギ晋以来の医師はその根拠がないので----?
晋の★★★★は素問9巻,鍼経9巻を見つけだし,それぞれ29巻,18巻にして,こ
れを黄帝内経18巻に付加えた.唐の王氷は素問に霊枢を言うもの9巻を合せて黄帝内
経をする.これは−−−−−だ.
私は古人の二十余家の理論を学び取り,またその批判も加えて『橘黄医談』『井観医言
』に記してあるので,ここでは余計なことは書かない.ただ医師は和方医も漢方医も新
しい物事を信用する者が多い.最も素問は古言格言を踏まえて作られたものなので格言
,名論があって霊枢とは雲泥の差がある.霊枢は王氷の偽作という説がある.さもある
べし.
歴代の医師は幼少の頃から素問,霊枢,難経を読み習いその気質が身に付いている為,
愚俗を信じるが如く,終始そういう思考で仲景の書を解釈しようとするので『傷寒論』
の本質を得ることができないでいる.これは仲景の医法も黄帝内経から由来するものと
思い二書は同一理論で解釈しようと試みる為である.
漢人は日本人より学問がガイハクであるので素問・霊枢・難経等を解釈することは日本
人を遥に凌ぐものだ.しかし,その理論を以て医事を解釈していくので議論はレベルが
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高いが手技は甚だ拙劣である.元の−−−,明の−−−らは専ら力を治療に用いる.独
自の理論よる発言多くその説は−−だが技術に於ては他人に及ぶことはない.また,清
の徐霊台も卓絶の理論が多いがその書は緻密過ぎて返って治療に切実さを欠くところが
ある.この三人とも素問,霊枢から脱せず.
古代は皆技術を以て評価されたので下手であれば営んでいけない.家族を◆◆ことはで
きない.そのため各々勉励刻苦して,他に劣らぬよう技術向上を計ったものだ.医師の
中でも仕事に甚だ苦心せずネイビコウキュウに務め居宅を飾り虚名を売る.ユウロクの
人は家柄を高ぶり病人やその家族をだまし生涯を送る者も多い.また,小才の有る者は
,道理道理ばかりで実用にならぬ書物を出版し,学者や俗人をキョウカクする.これら
は皆,◆◆◆◆の医師という.益は全く無い.ドクショウアンが曰く,山野に居て人を
襲い腹を充す者を賊をいう,殺人を犯すことを生涯に通計するとその多い人間でも35
人から50人,多くても100人を過ぎることはない.最近の医者は技術が稚拙で知ら
ず知らず人を傷つけている.その数は日々通計すると35人は下らない.すると生涯に
は数千人にも達するであろう事になる.この事には全く気づいていないのだ.−−−−
即ち,その悪行は山賊よりも甚しい事になる.あぁ,仁術ははたして何処にあるのか?
医者を学ぶ者これを如何に考えるか?過激な文章ではあるがその思いはとても深淵なの
だ.人々は利を,名声を欲する想いを慎み技術を琢磨して天職に供することだ.
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薬物を撰品することに医師として専心しなければならない.偽品は厳禁であるが商いを
好む者はただ利益を求めるので偽物がままある.また薬の真偽,薬効の有無などもあま
り知らない.またたとえ偽物,◆物でなくてもその産地採取時期,および◆◆乾の時期
,気候の良し悪しで薬効の低い物がある.第一に気を付けることである.
諺に『薬を採るものは両眼を,薬を売るものは片眼を薬を作るものは無眼』という.恥
ずべきことだ.心を尽して撰品しなければならず.これについては次巻に論じる.
物◎◎の『医言』,『素難評』,山県周南の『周南医談』山県柳荘の『医事撥乱』など
は一覧するべきだ.儒学者の理論であるから隔靴掻痒の記述もあるが卓見も少なくない
.東洞先生の『類じゅう方』『方極』『薬徴』『医事或問』は必ず熟読すべきだ,『医
断』『建殊録』は門人の−−であるがよく講習するように.『東洞遺稿』も医論が多く
述べられている.これも読むべきだ.すべて東洞先生の著作は空論憶測がない,学ぶ者
は必ず一部ずつ所有して精研すること.『丸散方』『方極或問』は未定の書物であるが
,これも所持すること.後藤ゴン山の『病因考』息仲介の『傷風約言』山脇東洋の『臓
志』『養寿院医則』福嶋喜又の『芳翁医談』香川修庵『行余医言』独しょう庵『漫遊雑
記』,荻野元凱『刺絡編』『吐法編』舟山寛『医論』多紀桂山『素難解題』息◎◎の『
時還読我書』など,その説の良し悪しあるが一読するのに大いに見地が広がるであろう
.
賀川子玄の産術に於ける華岡青洲に瘍科に於ける,実に希代の絶技には前出がない.
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